【JOSÉ#3〜サルサの日〜スペシャールInterview 3】

ゲスト: 健太郎(SALSA HOT LINE JAPAN)
インタビュアー: ダーリン.saeko
協力: JUNCO

Q.サルサの日ってなぜ誕生したのですか?

健太郎「SHJの前代表、ジョージ渡部氏が、語呂合わせで303でサルサの日を作り、みんなにサルサを知ってもらう手段の1つだと考えて記念日協会に登録したのが始まり。」

—-へえ!!!

健太郎「SHJという会社がやっているとか、誰がやっているとか、そういうことを気にせずに、純粋にサルサの日を使って楽しんでもらえたらいいなと思ってるんだけどね。」

Q.登録料が意外にかかると聞いたのですが

健太郎「そう、こないだ更新料が来てね、意外にかかることが判明(笑)以前は、一度登録すればお金はかからない制度だったんだけど、最近は経営が苦しいのか(笑)..記念日協会から届いた額縁が3万円も(笑)」

Q.3万円!これは、愛のなせる技ですね

健太郎「ウチとしては、シーン全体が盛り上がってくれて、その内に会社が盛り上がってくれて、何かの形で利益が出てくれてらいいなと。」

Q.健太郎さんは、なぜSHJを引き継がれたのですか

健太郎「単純に、サルサを盛り上げたいなと。
そもそも、自分がこの業界に入ったきっかけというか、出会ったときの衝撃が大きかったから。」

Q.衝撃!?

健太郎「最初は、友だちに連れられて、96年とかその頃、二十数年前のカリベに行ったんだよね。その頃のカリベは、今とは全然違う雰囲気で、踊れる人がそんなにいないから、踊りにいくのではなくて、ラテン系の人たちが夜遊びに行く場所だったんだよ。だから、なんていうか、普段と違うところにいく感覚だったんだよね。」

Q.非日常感ですか

健太郎「そう。飲んでる人たちが半分。踊っている人たちもいて、ペルーの人とかは、フロアーに固まってビールを飲み回してたり、おしゃべりしてたり、奥の方では、ベタベタしてるカップルがいたり、こっちでは、喧嘩してる奴がいたり、すごく安っぽいチープな電飾で、みんながワイワイガヤガヤ、陽気な音楽の空間で好き勝手してるっていうのが衝撃。
あっ、これ俺の世界だ!って思えて。」

—-混沌としてますね(笑)私もそういう雰囲気大好きです。

Q.当時は、そういう場所は他にはなかったのでしょうか

健太郎「例えば、ディスコだとみんなひたすら踊っていたり。1つのことを楽しめる空間ならあったけど、物足りない感じがして。もっと自由だったんだよね。混沌としてるのが、すごくよくて。あのカップルは、あの後どうなるんだろう。。。とかね。そういう色んなことが、1つの空間で見えるっていうのが何か面白いなぁーと思ったんだよね。」

Q.健太郎さんサルサも踊られますよね?

健太郎「踊りたいというより、こういう空間に居続けるには、踊れた方がいいだろうってことで始めたんだよね。踊りに誘われたときに、踊れませんって言って断りたくないなと。」

—そうですね。いろいろ流れはありますよね。

健太郎「その当時、俺を誘ってくれた友だちが、ダンス踊りたいというのがあったから、一緒に始めたんだよね。」

Q.その頃はスクールとかあったのですか?

健太郎「クラブの営業時間前に、ダンスレッスンをやって、その後クラブ営業というシステムが、ちょうど始まったくらいの時で、サルサ・カリベでレッスンしていたロス・サルセーロスというスクール。みんなも始めたてで、行きやすいっていうのもあるし。」

—–面白い時期ですね。

健太郎「後は、当時自分が行ってたのが、日曜日の夕方で、サラリーマンが一番心細くなる時間なんだよね(笑)」

—-心細くですか(笑)

健太郎「だから、六本木っていう少しハイになれる場所にいれるっていうのが、よかった。」

Q.その当時の六本木ってどんな場所っだったんですか

健太郎「今よりも、少し怪しげな場所だったし。基本夜の街だったんだよね。六本木ヒルズとかなかったし、夜の濃い街だった。行くこと自体が、何か高揚するよな場所だった。」

Q.その後SHJの代表になるまでのお話を聞かせてください

健太郎「サラリーマンを辞めたのが2001年かな。ちょうどその頃、ダンスを教わっていた先生がスクールを始めますというタイミングで、一緒にやりませんか?というお誘いをいただいので、運営側として始めたんだよね。」

Q.スタジオのお名前は?
健太郎「”フィエスタ・ラティーナ”というスタジオで、今はもうないのだけどね。それが、脱サラしてサルサ業界に入ったきっかけ。
そこで何年間か働いた後に、新宿の”レオン”というお店のオープニング準備と始めの一年間だけマスターをしてたんだよね。」

—-凄い!!渡り歩いてますね(笑)知らなかったです。

健太郎「で、今から10年ほど前に、当時のSHJの代表、渡部から会社の世代交代も見据えて入社してほしいと相談を受けて。」

Q.引き継ぎは、スムーズだったのですか

健太郎「現在、引き継いでから4.5年ほどなんだけど、当時は、基本路線を変えずに、踏襲していけば、やっていけるんだろうっていう風にしか考えていなかった。」

Q.引き継いでから、こんなんじゃなかった!と思うこともありましたか?

健太郎「こういう言い方をしたら、何か悪く聞こえちゃうかもしれないけど、
伸びるだけ、伸びてきて、伸び切っちゃっていたんじゃないかなって。
ダンスをやる人も、やれる範囲にしても。
それこそ、2001年、2002年はピークだったんだよね。今にして思えば。
100人が、次の年には200人。200人が次の年には400人になって倍々に増えっていったんだから。」

—-それは、凄いです。今では考えられないですね。日本のラテン音楽業界は、80年代をピークにどんどん下火になっていったと思うのですが、ダンスはその時代にピークを迎えていたのですね。

健太郎「でも、考えたみたら、その後に10万人、20万人に増えたかというと、増えてないんだよね。本当に局地的で、限定的なブームだったのかなと思うんだよね。」

Q.全国的にはどうだったと思いますか?

健太郎「もちろん、多少はあったと思うけど、ヨガとかヒップホップほどの広がりほどではないよね。」

Q.業界の成長率が止まったなと実感した時はありましたか

健太郎「それこそ、自分が会社を引き継いで1年くらい経った時に、あれっ?て気がついたんだよね。発表会でもなんでも、知りあいで生徒さんのいる先生に声をかけたり、顔見知りの中で回していると、それ以外の世界が全然みえなかったんだよね。
そうすると、客観的に自分たちの業界を見ることってないじゃない。本当に小さい中で、尚且つ見知った人たちの顔をみながら話すから、こなやり方だと広がり方がすくないなーと思い始めたの」

Q.その後何か打開策みたいなものは見つかったのですか

健太郎「で、ちょうどその頃”風営法”の話が出てくるんだよね。あの時は大変だったこともあったけど、結局それが自分的に、外の世界を知るきっかけになったんだよね。」

—–風営法ですね。それは、興味深いですね。

健太郎「というのは、風営法を変えようという、集まりがあって参加すると、渋谷のクラブの人やヒップホップの人、社交ダンス業界の人、普段、出会えない色んな人が来てて色んな話を聞けたの。しかも共通するダンスというテーマで。」

Q.なるほどーーー!!!そこで何かに気がつくのですね。

健太郎「ダンスイベント1つとっても、考えている規模や対象が全然違う。

新木場にあるageHa@STUDIOの人たちとか、同じダンス業界にいる人たちなのに、何でこんなに違うんだろうって。

社交ダンスの人とかかも、近い業界かと思ったら、数万人規模の人たちのファンがいて、もうやっていることが全然違うなって。サルサ業界、全然ダメじゃんって思った(笑)

何百人が対象っていう世界ではなくて、何万人、何十万人という人が対象じゃないと、関わる業界の人の仕事がないなと。」

—-確かに、暮らしが大変です(笑)

健太郎「だからそういう意味では、良くも悪くも規模の拡大は大切かなと思う。そのきっかけが風営法だった。」

Q.そこから健太郎さんは、何を新たに始めていくことになったのですか

健太郎「とにかく今まで自分がやりたかったことから、実現させようと思いました。
例えば、ダンスと近い関係にある音楽に目をつけて、SHJ主催のJAPAN SALSA DANCE CONGRESにライブ演奏を入れてみました。
もちろん、CD慣れしたダンサーの間では、ライブは長いし、嫌だというライブに対してネガティヴな発想のある人たちもいたけど、自分的にはそこを変えていきたいなと思って、音楽のことを知る機会や、演奏を楽しむ機会を積極的につくりました。音楽とダンスの垣根をなくす活動を少しずつはじめて。」

Q.それは大きな一歩ですね。他には何かありますか?

健太郎「古武術の人にセミナーをやっていただいたり、他ジャンルの人たちとリンクするようになっていって。何かのためにもいうよりも、やっぱり自分が興味、関心がある分野とリンクしたりして試行錯誤している感じかな。」

Q.新生SHJてして、みんなに伝わるといいなと思うことはありますか

健太郎「未だに、自分の世界だと感じた最初のあのきっかけが拠り所なんだよね。
ラテンの世界って絶対に面白いって、多くの人が受け入れてくれるだろうって思っているのね。ダンスだけではなくて、音楽とか、人との接し方とか、すごくopenでみんなが楽しめると思うし。」

Q.サルサダンスシーンを支えている健太郎さんにとって、ダンスとはなんですか?

健太郎「決してダンスだけにこだわっているわけではないのだけど、ラテンの世界に、ダンスは欠かせないと思う。
ダンスをとってしまったらラテンとは言えないなと。音楽もあって、フードもあって。
そこは、それぞれが独立しているわけではなくて、全部が繋がっているから。
その楽しさを提供していきたいなと思います。」

Q.ラテンカルチャーに触れたことのない人へ、オススメの楽しみ方はありますか?

健太郎「”ラテン”って聞いて、何かしら陽気とか楽しいってイメージはあると思うのだけど、そこをちょっと覚えておいてほしいなって思う。
サンバでも、ムード歌謡でもいいんだけど、これがラテンだと自分が思ったら、その自分の好きなものと「ラテン」って言葉が結びついたものを覚えておいてほしい。

後に生活する中で、ラテンと結びつく部分が、だんだん見えてくると思う。それこそ、ライムさして飲むビールとか」

—-身の回りにあるラテンのものに気がつき、そこから魅力が広がっていく感じですね。

健太郎「そうそう。だから、ダンスだけじゃないし、音楽だけじゃないし、何かだけじゃないんだよね。」

—-すごく説得力あります!!健太郎さん。今までにないくらい、男前に見えます!

Q.そんなSHJが今後やっていきたいこととは?

健太郎「そういう多種多様な感じが楽しいと思うから。SHJが企画するダンスイベントも、別に踊らなくてもいいダンスイベントがあっても、聞くだけも、飲むだけもいいと思う。

ただ、できれば、さっきお話した、色んな人間がいて、なんか濃い〜なっていう空間を作りたい。それがみんなと共有できたらこんなに嬉しいことはないよね。」

Q.それでは、そんな健太郎さんが今後のサルサダンスについて期待することとかありますか?

健太郎「on2のスタイルやキューバンが流行ったり、その時々で流行があると思うけど、最初は、そんなスタイルなんてなかったし、教えてる先生も模索しながら、教えてたから、今から考えるとたいしたことなかったんだよねきっと(笑)サルサと思ってたものが、ランバダだったり(笑)

でも、一番最初に流行り始めたのは、ボールルームON2っていわれるニューヨークスタイルだったかな。途中でON1っていうLAスタイルが流行り始めて、で今度はEDDY TORRESのon2が流行り始めて、それこそ今はセンシュアルバチャータとかドミニカンバチャータとか言われてるじゃない。
そういう流れは、地元に根付くやり方としては、ありだよなって最近思う。
スタイルじゃないよって言わなくてはいけない部分もあるだろうけど。一般的にはその違いって全然わからないとは思うし。

—そうですね。いろいろ流れはありますよね。

健太郎「ただ、一般的にサルサって他のダンスと何が違うの?となったら、それは、ペアダンスだよね。ペアで踊らなくちゃいけないってわけではないけど、ペアの楽しさが醍醐味だよね。

日本でも、ペアダンスのハードルが、もう少し下がったら面白い方向にいくと思う。時代と場所が一番変化していくのが、サルサだと思っているから、日本人のつくるサルサのスタイルがあってもいいと思っていて、そういう意味では”She Bop Wicked Wicked”可能性をすごく感じるよ。」

Q.最後に、SALSAの日に向けて一言お願いします。

健太郎「今年で3年目。本当にありがたい。サルサの日を上手く使ってくれて。
JOSÉのイベントは、人脈とかカラーとか、さえちゃんというキャラクターの象徴だと思うから、思う存分発揮してください!当日楽しみにしています!」

—–大変嬉しいお言葉!!

ワケあり歳の差カップル役ということで、好きな時に、好きな感じで遊んでいっていただけたら嬉しいです。今日はお忙しい中インタビューを受けてくださってありがとうございました♡

これからも、Salsa Hot Line Japanの活動応援しています♡
3/3 JOSÉ(ホセ)サルサの日、JOSÉゆるキャラ、ワケあり歳の差カップル健太郎&AYU目撃必須です!!

【JOSÉ#3〜サルサの日〜スペシャールInterview 3】