José(Japon Organico Salsa Erotica)~Salsaの日~vol.2 Entrevista #6 PURI

当日をもっと楽しく、深く堪能していただけるよう、出演者の方々の旬なVoiceをお届けするJOSEスペシャルインタビュー企画PART6

本日は、ファンキーでセクシー、唯一無人のダンススタイルにメジャシーン、アンダーグラウンドシーン両方のダンスシーンで絶大な人気を誇る存在PURIさん(以下PURI)にお話を伺います。

PURI

ーーーーーダンスを始めるきっかけになったエピソードを教えてください

PURI: 16歳の時に地元(福岡)でダンスを始めたんだけど、俺の育った町がスケーターとかダンサーが多い町で、地元のダンススタジオも、*BE BOP CREWいうTEAMの影響でストリート色が強かったんだよね。

*BE BOP CREW=九州博多を拠点に活動する日本のLOCK,SOUL,STREETDANCE・ SCENEを築き上げた伝説のダンスTEAM

俺の高校の時の学園祭で先輩たちが踊っていて、その中に今も一緒に踊っている

TOO君いて、いいなって思ってダンス始めたの。TOOとはTHE FUNKADELICSっていう最近組んだチームのメンバーにもいて。

ーーーーーダンスはその後、すぐに始めたのですか

PURI:先輩たちに習っていたんだけど、ちゃんと習いたいなって思ってスタジオに通うことにして。

ーーーーーなんていうスタジオ?

PURI:JAST DANCE STUDIO

ーーーーー何のクラスを受け始めたの?

PURI:ロッキン

ーーーーーもう、いきなりロッキンだったんだ!?

PURI:うん。最初はロッキンかブレイキンで悩んだけど。まぁ、いかんせん痛いのがあんまり好きじゃなくて。

ーーーーーそこですか(笑)

PURI: 後、やっぱり福岡ってロックダンスの町なんだよね。踊っている人も多くてさ。だから自然にロックを選んだっていうのもある。

そこのスタジオに「専科」というクラスがあって、そこでBE BOP CREWのSUSUMUさんが教えていたんだけど、そのクラスをBE BOP CREWのSETOさんとかYOSHIEさんとかが受けてたの。そのクラスが魅力的すぎて、将来的にこのクラスを受けたいなっていう夢があって。超かっこよかったよ。まじで。

そこで、今一緒に踊っているMAYAKAとも会ったんだよね。

ーーーーーへぇー!ということは、実際そのクラスには入れたんですね。

PURI: うん。

ーーーーーその頃には、ダンスをプロでやってこうみたいなのはあったのですか

PURI:ない。(即答)

ーーーーー(笑)早い。その頃の将来の夢は?

PURI: 美容師か接骨院の先生。

ーーーーー初耳です!!

PURI: 結局卒業して柔道整復師の学校に行ったんだよね。でも結局、辞めて海外に行ったんだよね。

ーーーーー何歳くらいの時ですか

PURI: 19歳。

ーーーーー海外に行くことにきっかは?

PURI:19歳で初めて、観光とダンスを兼ねて*NYと*LAに行ったんだよね。

NYは2週間くらいでLAは三ヶ月間くらい。

ツヨポンっていう地元が一緒の友だちと何にも決めずに出ちゃったんだけど、

その三ヶ月間の間でまた長期来たい!ってなって。それから半年後に戻ってきて、2年間留学したんだ。

*NY=ニューヨーク

*LA=ロス・アンジェルス

ーーーーー他にもいろいろダンス盛んな都市あったと思うんだけど、なんでいきなり海外に行くことにしたの

PURI:単純に憧れはあったんだけど、

その当時、福岡の人って東京とか大阪とか他の都市のことをあんまりよく思っている人っていなくて(笑) 

地方あるあるみたいな感じで。

なんで東京に行くの?意味ないよー的に言われてて、だからなおさら海外に行こうって。

俺はそれまで、ロッキンとか、ソウルとかしか踊ったことなかったんだけど、 3ヶ月の間でSUPERDAVEっていうダンサーの人に出会って、

その人は、HIPHOPというかFREE STYLEで、めちゃくちゃカッコよかった。

ファンキーだし、クールだし、彼のオリジナルスタイルがそこにあったんだよね。

それでダンスって、すごい自由だなって思って。行きたいなーって思って留学した。

だからむしろLAというよりは、彼に習いたくて。

ーーーーー2年半のLA生活を振り返ってみて、一言でいうと?

PURI:刺激でしかなかった。

スポンジが水浸しになるみたいに、吸収していく自分を実感した。

ただそれと反対に孤独感もあったし、辛いっていう。

人として成長する部分もあったけど、自己主張しないとやっていけないと思って、自己中じゃないけど、そういうところが芽生えてしまったところもあったかなって。

ーーーーーそれはダンスの世界が?それともLAでの生活が?

PURI:生活かな。言語の問題もあったし、後はお金もないっていうのもあった。

LAでは、車がないとやっていけないから、ポンコツに乗って寿司屋のデリバリーのバイトしてた。

ーーーーーLAではダンス活動を教えて

PURI:午前中から昼間までバイトして、夕方からダンスみたいな生活で。

所謂、CLUBで踊る活動もしてたんだけど、UNITY LAというダンスのカンパニーに誘ってもらって、そこの公演に出たりとか、サンディエゴとかサンフランシスコとかも行かせてもらって。後はたまにバックダンサーもさせてもらったり。

ーーーーー確か、ラテン系の方のバックダンサーをしていたのですよね。ぜひ教えてください

PURI:CHELOというアーティストさんで、プエルトリコ系の人なんだけど、ダンサーの二人の女性もプエルトリコの人で、後は友達のフランス人男性と俺の4人でバックダンスさせてもらって。

結構、アメリカのラテンコミュニティーを回ったよ。

フランスからハンガリーのTVショーに出た時でさえラテンの感じだった。

ーーーーーその時はラテンコミュニティーに触れていることは認識してた?

PURI:してなかった。

ーーーーーこれも何かのその後を予感させる縁ですね。その後その人たちとは?

PURI:帰国を機に離れた感じで。

ーーーーー帰国はなぜ決めたんですか

PURI:もともとアメリカに活躍しにいきたいと思っていたわけではなくて、

アメリカで学びたいと考えていたので、5年の学生VISAを持っていたんだけど、俺の中では2年って決めていて。

23歳になったと時に、ダンスで働きたいと思ってたの。

だから、東京に出ようと思って。

ーーーーー福岡ではなく、なぜ東京を選んだんですか?

PURI:独断と偏見で(笑)

親族からもダンスやるんだったら、東京に行け!って

あとは、東京で挑戦したいっていう気持ちがあった。お金を稼ぎたいって。

だからアンダーグラウンドでダンスをするつもりはなかったし、それこそ、アーティストのバックダンサーとか振り付けをやりに行こうと思ったの。

ーーーーー福岡では何故ダメだと思ったのですか

PURI:福岡にはダンスの仕事がなかった。

先輩たちはあったと思うんだけど、まだ若かったし教えをやりたいと思っていたわけではなかったから。

後は、アンダーグラウンドの仕事しても、周りの人が評価してくれないというのも会って。

親とか親族、学校の先生、同級生、気にするタイプではなかったけど、上京して、食えるようになってから、ちゃんとダンサーです。って言えるみたいな感じはあったかな。

ーーーーー上京後はどんな生活でしたか?

PURI:東京に来た時は、LAとの生活の違い、ギャップがあって、”嫌だーーっ”て思ってた。なんというか個性がないというか。

そうだ!思い出した!!

東京に出てきたとき、俺は8万円のキャッシュを握りしめて出てきたんだ(笑)

ーーーーー笑 はい。面白いよー

PURI:マジで金なくてさ。友達の家に転がりこんでさ。’泊まらせる代わりに前家賃3万’なーって言われてまず3万円なくなって、で、その日に飲みに行っちゃったわけ、そしたら1万円なくなって、やべえ金ない!!ってなって、日雇いをしなくちゃ食っていけないって思って。だから最初の半年はバイトしてたね。

その間にクラブでSHOWさせてもらったりとけしてたけど、

少しして、バックダンスの仕事をもらえることになって、それがクレバさんだったんだけど、そこで今サポートしている三浦大知とかとも出会ってて、まあ三浦大知とはもともとLAで会っていたんだけど

ーーーーーへえ。もうすでに繋がっていたんですね。

PURI:LA越しの日本でshowみにきてくれて、彼が直説オファーをしてくれて。

で、半年間のバイトの間に日雇いからテレアポにバイトが変わったのね(笑)

だんだんおれ何のために上京したのかわからなくなっちゃって、ある日、もうバイトおれ辞める!ってなってやめたのね。

で、金ないから姉ちゃんに電話して、ちょっとお金を貸して欲しいって頼んで10万円くらい借りたのかな。

まあ、でもバイト辞めてから気合が入ったのか、なんとかつなげるようになってね。

ーーーーー早いですね!!!

PURI:そうそう。でもマジで気合入ってた。

みんな敵だと思ってたし(笑)

ーーーーー笑 !!

PURI:でもそのくらい気合入れてないとダメな街なんじゃないかなって思ってたし。

舐めてかかってたら、やっぱり舐められるじゃん。

誰にも負けないと思ってたし。

ーーーーー何に一番気合いが入りましたか?人に負けないためにしたことってありますか

PURI:三鷹に転がり込んでいたんだけど、近所にあったサッカー場の周り走りながらダンスしてたね

ーーーーー笑

PURI:サッカー選手に負けないくらいのトレーニングを外でしてたね。

ーーーーー(笑)まずは体を鍛えてたんですね? 他には?

PURI:うーん。後はね、とりあえず飲んでたね。飲んで、👍ってなってた

ーーーーーなるほど、とりあえず飲んでた(笑)

PURI:金ないけど。

ーーーーーやっぱり、そこまで飲めるのは博多の血統ですか?

PURI:あれは教育だね(笑)おれはもともと飲めないから。

ーーーーー教育の賜物!!

PURI:福岡の先輩がね、練習終わってからクラブに連れて行ってくれて、そこでしこたま飲まされてみたいな。

ーーーーーちなみにその時のクラブの名前を一つ教えてください。

PURI:VIBEっていうクラブ。今はもうないんだけど。そこですごく育てられた感じがした。

ーーーーーダンサーの人が集まるクラブ?

PURI:東京でいう”NUTS”みたいな感覚のお店。ダンサーがいっぱいいて。

俺らガキでも相手にしてくれる先輩がいっぱいいてお金の面でも、ダンスの面でもお世話になってた。

ーーーーーなるほど。おすすめの福岡の方のクラブを教えてください

PURI:わかんない。今どこなんだろうね。

でも、最近俺がおすすめしてるのは、GGBっていう。

ーーーーーあれ? G.G.C?(笑)(ダーリン.SAEKOの所属するチーム。G.G.C)

PURI:GO Go BrothersのYUU君がやってるBARなんだけどすっごいかっこいいよ。

お店めっちゃ素敵だよ。BarなんだけどDJブースもあって、なにせGo Go Brothersがいるから♡

*GGB=ダンサーGO GO BROTHESの店博多市内にあるSOUL BAR

*Go Go Brothers=福岡出身の父にTONY GO GOを持つカリスマダンス兄弟。REIとYUUの二人組。世界中に絶大な人気をもつ

ーーーーーそりゃぁ会いたい♡スターですね。

PURI:俺もダンサーの中で一番かっこいいと思ってる!!

ーーーーーさて、話は東京に戻しますが”周りは敵ばかり”の後の続きを教えてください。

その時クラブのshowとかやってたの?

PURI:やってたよ。はじめは俺一人で活動してたんだけど、

ちょうどその頃s**t kingzとか、BuzzerBeaterのHIGE君に出会ったりして、全然先輩なんだけどクラス受けてくれたりナンバーに出てくれたり、

そういえば、ちょうど上京した頃くらいから”ナンバー”って増えたんだよね。

s**t kingz=シットキングス Oguri, kazuki, NOPPO, shojiの4人による世界で活躍するカリスマダンスチーム。

*BuzzerBeater=Hige,ぺら,syo-taによる3人組のHipHop Team

ーーーーーいわゆる発表会みたいなのをクラブでやるような感じですよね

PURI:s**t kingzのShojiとかkazukiとか出てくれたり、

ーーーーーその頃はPURIさんはどんなスタイルで踊っていたのですか?

PURI:その頃はいわゆるLAスタイルってヤツだね!!

ーーーーーHiphopのリリックにはめてダンスするみたいな?

PURI:そうそう。その当時あんまり東京ではなかったからね。

先駆けというか新しい目では見られてたと思う。

ーーーーーやっぱりそれは、東京に出てきたすぐはLAでの影響が強かったのかな。

PURI:学んできたものを形にして、自分から発信したいって思ってたから。

ーーーーーインプットして、アウトプッとするみたいな?

PURI:うん。だからコンスタントにLAから帰国した後もインプットしたくて海外は行ってた。

ーーーーーどのあたりに出かけてたんですか?

PURI: やっぱり、NYにいったりLAに行ったりしてた。

その後は、ヨーロッパとかそれこそ去年はキューバとか。

今でも年に一度は出るようにしている。

ーーーーーその頃と今とダンサーとしての生活は変化したんですか?

PURI:大きく違うね。

当時はやっぱりダンサーとして、だらしない生活というか(笑)

だから、ダンサーって言えないんじゃないのっていう生活というか、

要するに、これはだらしないっていったら大変失礼かもしれないけど、

以前は、やっぱり夜型で食にしろ、健康にしろ、ダンスにしてもそうだけど、すごい偏っていたと思う。

今は健康体だし、フレッシュだし、ダンスに関してもすごく好きだと思う。

ーーーーーそれはいつ頃から昼間の生活に変化したのですか

PURI:もともとそういう生活に憧れてたし、逆にいったらLAではそういう生活をしてたんだけどね。

ーーーーー向こうのLAでのダンサーさんはみんな昼間の活動ですか

PURI:みんな昼間に動いてたよ。

クラブも2時で閉まっちゃうしね。

ーーーーー日本に戻ってきて、いつ頃から昼間に生活に戻していったのですか

PURI:ここ数年だよね。

ーーーーーどうやって切り替えていったのですか

PURI:単純にクラブショーをやめたんだよね(笑)

そういうシーンに対して、ちょーリスペクトしてるんだけど。

*深夜練をしたくなくなっちゃたのね。

*深夜練=深夜にリハーサルをすること

ーーーーー(笑)

PURI:絶対に入ってくるじゃん深夜。深夜練をなくす=クラブでのSHOWができなくなっちゃったの。当時FULL OUT BOYZっていうTEAMをやってたんだけど、

深夜練がしたくないばかりにその活動がストップしちゃったの(笑)

解散ってわけじゃないんだけど。

ーーーーー周りのメンバーの人たちは、どう思っていたのでしょうか

PURI:みんな俺に対して不満だったと思う。みんな一緒にやりたいけど、PURIがやらないって言うからみたいな。でもみんな優しいから何もいわないんだよね(笑)

だけど申し訳なかったとすごく思ってる。

ーーーーー深夜帯の活動をなくしてまず何が変わったと感じますか

PURI:まず朝起きてトレーニングして、昼間の仕事ができた。

バックダンサーの仕事とか、振り付けの仕事がメインになって、

“PURI”っていうダンサーが薄れていった感じはした。

ーーーーー薄れていくっていうのは?

PURI:印象が。俺はやっぱり、クラブシーンでダンスをしない限りダンサーは薄れていくって思うんだよ。

でも反面、仕事ではバリバリ踊っている状態だった。でもダンサーとしては下手くそになっていくっていう感じはしてて。

その後、俺がもう一度ダンスをがっつりとやるようになるきっかけがくるんだけど、

ーーーーーその時は、あまりがっつりやっている感覚ではなかったのですか?

PURI:うん。そうだね。好きなダンスをやている感覚ではなかったと思う。

振り付けもそうだし、演出とかしてると、裏方になってくるから、言い方が難しいけど、やっぱり、少しづつ下手になっていく感覚に近いかな。

踊るのがおっくうになってきたり、不安になったり、

5年くらい前に演出とかやってたんだけど、

一昨年にほぼ裏方の仕事ばかりになった時に、それと同時にロックダンスのSHOWをするようになって。

2015年を機に、お仕事では裏方に、好きなダンスをクラブで踊ろうと思えたんだけど。逆に2016年になってありがたいことにダンサーとしてのオファーも増えてきて。

仕事でも踊り。裏方もできクラブでも踊れるっていう。ダンサーとしては、とてもベストな状態だった。お金も稼がせてもらってたし、順風満帆だったから、でダンスも楽しかったから、その年はダンスもちょーうまかったかも(笑)

ーーーーーダンサーとしてそれだけバランスをとってやっている人って珍しいと思うのですが、何か秘訣というか、意識的にしていることがあったら教えてください。

PURIそればっかりは、単純にいうと”俺はラッキー”だな思った。

仕事はオファーが来ないとどうにもならないしね。でも作り出すものでもあると思っていて。人間関係とか。

後は、真面目っていうのが大切かなと。時間にもそうだし、期限もそうだしちゃんと真摯に仕事に対して向き合えるとうのが大切かなと。

あの人すごいのに、そこゆるいよねっていうのはもったいないなって。

外国人の人、アメリカの人とか自分で仕事を生み出すよね。

バライティーに富んだことをして、楽しんでるなーみたいな。

ダンスに根本があるんだけど、いろんなところでお金を稼いで、人と出会って、動かしてっていうことができれば、そこまでお金なくても困らないと思うし。

ーーーーーそんな順風万パンな時期を経て、2017年に新たにやりたいことはある?

PURI:それこそサポートの仕事はしていくんだけど、それとは別に新たに”THE FUNKADELICS”っていうTEAMを始めることになって。ダンサーだけのTEAMというよりは、映像、ペインターチームがいて、全部でTHE FUNKADELICSとして打ち出したい。

発信をしていきたいなって。

今年は発信できる場所が欲しくて形にできるもの。

ーーーーーその構想はもともとあったの?

PURI:アイディアは薄っすら。自分に余裕がなかったのか、まだコネクションとかがなかった。やっと点と点が線になってきたところ。まだ中身はすっからかん。

今から充実させていく感じ。自分たちがやっていることに、誇りをもって、楽しくカッコいいことやっていきたいな(笑)

リズムがしっかりしている音楽が好き。だからサルサとかラテンミュージックが好き♡

ーーーーーますます楽しみですね。少しお話はかわりますが去年キューバに行かれたそうで、その経緯を教えてください。

シェフシェフ

PURI:まず、映画きっかけで。

“シェフ”という映画の音楽のサントラ、陽気さ。雰囲気がよくて。別にキューバの映画ではないんだけど。

調べていくうちにキューバに行ってみたいなってなって。あとはカストロ元議長も無くなる前で、行っておきたいというのもあったし、それこそSAEKOちゃんと踊るきっかけもそうだったんだけど。

ーーーーーやっぱりPURIさんの中でファンク、ジャズミュージックが好きだから、ラテンも引っかかったみたいな共通点はあるんですか?

PURI:やっぱリズムかな。

ラテンとか、ずっと刻まれた音楽だし、なんか内面を引っ張りだされて”う~っ”なる感覚があるっていうか。ステップもシンプルで楽しいじゃん。カッコつけてる感じというより、乗ってる感じ。やっぱこれぞダンス。

仕事ではカッコつけて、好きなものはファンキーに情熱的に行きたいみたいな。

benben

ーーーーーちなみにファンクから、好きなアーティストをご紹介していただけますか?

PURI:*ベン・ロンクル・ソウル。フランスのアーティストなんだけど。

ファンクバンドだけど、がっつりじゃなくてニュースクールの要素もあって。

*ベン・ロンクル・ソウル=BEN L’ONCLE SOULフランスが誇るネオ・ヴィンテージ・ソウルの旗手

ーーーーーPURI君が通ってきたダンスが全部表現できちゃう感じなだね。

PURI:うん。アルバム一枚でいけちゃう感じかな♡

jamie cullumjamie cullum

ーーーーーJAZZからもご紹介していただいていいですか

PURI:ジェイミー・カラムっていう人なんだけど、ドジャズじゃないんだよね。

*ジェイミー・カラム=Jamie Cullum英国出身のJAZZ シンガー

踊れてチルのが好き。

ーーーーーライヴとかもよく行くんですか

PURI:行く!!

ーーーーーライヴで踊られる時って普段と何か違いますか?

PURI:全然違うんだろうね。

やっぱ、臨場感があるよね。パワーも違うし。あとやっぱ、気持ちいよね。

ーーーーー3/3のJOSEにめがけてラテンのバンドのセッションについて、意気込みを教えてください

PURI:ファンキーにクレイジーにいきたいね!バンドの一員として踊りたいくらいの感じ。

ーーーーー3/3 JOSE VOL.2へ遊びに来てくださるお客様に向けて一言いただけますか

PURI:これを機にこういうところに足を運んで欲しいっていうのもあるけど、

自分の伝えたい所としては、より”PURI”っていうダンサーに注目して欲しい。面白いなって思ってもらえたら。

バンドと一緒にある空間を客観的に楽しみたいなって。

ーーーーーヤッホー!!本日はお忙しいところとっても興味深いお話ありがとうございます!!!3/3も当日はファンキーにいきたいです!!

インタビュー:PURI
インタビュアー:ダーリン.SAEKO
協力:間所直哉
企画UWSTO

⭐️PURI
puri
福岡出身。
2000年からSTREET DANCEを始め、2005~2007年まで2年間LAでダンスの修行を積む。
在米時は、海外ARTISTや数々のSHOW CASEに出演。
2007年から東京に進出し、多数のARTISTのDANCER・CHOREOGRAPHERを務める。
またEN DANCE STUDIOのPRODUCERも務める。


Back Dancer 経歴: 三浦大知・ BoA ・Kreva ・ 安室奈美恵・倖田來未・黒木メイサ・ナオトインテライミ ・郷ひろみ etc

振り付け経歴:三浦大知・V6 ・w-inds ・Lead ・超新星・YUA・GEM・ etc

LIVE演出経歴:V6・三浦大知

José(Japon Organico Salsa Erotica)~Salsaの日~vol.2 Entrevista #6 PURI