今年も去年に引き続き、思わず興奮で叫びたくなるライブ必須の豪華アーティストの方々に出演していただけることになり、すでにワクワクとドキドキ止まらない日々を過ごしているUWSTO.
当日をもっと楽しく、深く堪能していただけるよう、出演者の方々の旬なVoiceをお届けするJOSEスペシャルインタビュー企画PART3!!
本日は、今もっとも注目されているSALSAバンドBANDERASよりリーダーの小関一馬さん(以下KAZUMA)にお話を伺います。
ーーーーーBANDERASを立ち上げようと思った理由と時期を教えてください
KAZUMA:そんな大した理由がないことに最近気がついて(笑)
時期は3年くらい前からかな。
理由はただ一つで、かっこいいと思えるバンドでピアノが弾きたかった。
ーーーーーそれは、もう最初からサルサのバンドを作りたかったのですか?
KAZUMA何でもよかったんだと思うんだけど、
得意だったのがSALSAだったんだよね。
JAZZとかこれは入りたい!っていうかっこいいバンドがあったとしても、これ俺じゃなくてもいいんじゃないかって思っちゃう。
もっとJAZZが上手い人がやった方がいいでしょって。
でもサルサだったら、俺がやってもいいんじゃないかなって思ったの。
ーーーーーKAZUMAさんはサルサ音楽に出会う前は、他の音楽をされてたんですか?
KAZUMA:えっと、いつからの話をしたらいいんだろう。
中学生の頃にちょうどイカ天ブームで。
ーーーーーイカ天?ってなんですか。
KAZUMA:イカすバンド天国っていう深夜番組があったんだよ。80年代後期から90年代前半のバンドブームがあったの。その時中学生くらいで、いいなと思ってバンドやりたいなって。
ちょうどブルーハーツが流行ってた時期で。
パンクに興味もってバンド始めたの。
ーーーーーちなみにその頃に好きだったパンクバンドとかってありましたか。
KAZUMA:中学生だったから、よくわからなくて。でも本とか読んで、セックスピストルズとか聞くようになって、すごいな!って思ってた。
パンクをやってたんだけど、いつの間にかHIPHOPにいってたんだよね。
ーーーーーそれはどういう経緯で流れついちゃったんですか?
KAZUMA:やっぱパンクって俺が小学校6年生くらいの当時はイケてる音楽だったから。
でも、それが何年か経って高校生くらいになった時には、イケテない人たちの音楽になってて
ーーーーー笑
KAZUMAで、その時にイケてる人たちがHIPHOPだったんだよね。
だから、多分感覚は一緒なんだよね。
その当時パンクやってた人も、そこから何年か経ってHIPHOPをやってた人も。
不良感があって、その当時の旬のものでイケてるファッションして、カッコイイ音楽やってていうのが好きで。
だから、俺にとってはパンクもヒップホップも同じ感じで好きだった。
ヒップホップの時は、ダボダボの服きて、黒人みたいな格好して、
パンクの時は、短髪で頭ツンツンさせて。ピアスバンバンしている人が髪振り乱して踊ってるのがカッコイイみたいな。
ーーーーーちなみにHIPHOPはいつ頃出会ったのですか。
KAZUMA:16.17歳くらいの時に、クラブ遊びが流行って。
地元は立川なんだけど、六本木にあったグラスとか芝浦ゴールドとかに遊びに行って、ヒップホップとか聞いてた。
でも、当時のヒップホップってパンクが好きだった人がやっていたことが多かった。
HOUSE OF PAINとか、BEASTY BOYSとかもともとパンクバンドだったしね。
ーーーーーちなみに箱の雰囲気はどんな感じだったんですか?
KAZUMA:チャラ箱だったよ。
ファインとかに載ってて、サーファーの人とか多くてみたいな。
爆音で音楽かかってて、少年にとっては刺激的だった。まるで海外にいる感じで。
ーーーーーその後は、音楽活動的にはどこに流れていったんですか?
KAZUMA:おれ、結局DJになったの。20歳くらいの時におれ地元が立川だったから、福生にある横田基地が近くて、赤仙台っていう地域にアメリカの軍人さんが来るようなクラブがあって、そこでDJをさせてもらうようになって。
ーーーーーDJするにいったったきっかけとかあるんですか?
KAZUMA:なんか俺もやってみたいってなって!やらせて欲しいと頼みにいったら、
まずは皿洗いからって言われて(笑)
時給500円で。
ーーーーー笑
その時は誰かお手本のような人は周りにいたんですか?
KAZUMA:そこの店長の人、たつやさんっていう人が
ーーーーーお店の名前は?
KAZUMA: 《ゲットー》
名前変わっちゃったけど。
で、そこでホームDJになって週末は回して、
平日はバイトしてレコード買ってみたいな生活をしてて
ーーーーーその生活は何年か続けていたのですか
KAZUMA:うん、何年間か続けてた。でもそういう生活もある日突然飽きてしまって。もうこれ以上上はないって思って。
22歳くらいの頃で。
それで、その後オーストラリアにいったんだ。
そん時もDJとかやってたんだけど、
ワーキングホリデーで1年向こうにいて、
でもなんか人の音楽で回すのもつまらないなって思って。
中古のカシオキーボードを買ってきて、それで練習し始めたんだよね。独学で。
子どもの頃に習ってた記憶をたどりながら、
大人になって培ったDJの知識があればやれる気がして。
で、やったんだけど、
結果
できなかったんだよね。
ーーーーー笑
KAZUMAコードとか意味わからないし、なんでこんな風に響くんだろうとか思ったし。
HIPHOPの音楽ってさ、割とJAZZとかがベースだからさわりと複雑なコードとか積み方をするのね。
それで、何このおしゃれなコードは。このキーボードが悪いのかとか思ったりして。
全然思うようにならずで、その後日本に帰ってきてさ。
また、海外に行きたいなーって思ったりして。
で、次行くんだったら、サーフィンとかじゃなくて、ちゃんと音楽習いたいなって思って。
ーーーーーおー、いよいよ面白い。
KAZUMA: それでパチンコ屋で働いて、”はじめてのジャズピアノ”みたいな楽譜を買ってきて練習するんだけど、全然わからなくてさ。
で、学校に通おう思ったんだけど、日本だとお金も高いし、バイトしながらだと時間もかかるなって思って、
じゃあ、物価の安い国にいって勉強すれば、音楽だけに打ち込めるんじゃないかと思って、
ーーーーーいいこと思いついちゃいましたね(笑)
KAZUMA:最初はバークレーとか考えてたんだけど、お金の面で悩んでて、そしたらある日街中歩いてた時にCUBAのアーティストでYUSAって人のCDに出会って、キューバってなんだ!?と思いながら聞いてみたら
‘結構ステキかも♡って思って’
※YUSA=キューバ出身の女性シンガーソングライター。 アフロキューバンミュージックをベースにファンク、ジャズ、ソウルの要素を混ぜラップやポエムなどその独特のスタイルで人気を集めている
ーーーーーついにここでラテン音楽と出会うのですね。でも、初めからキューバにピンときた?
KAZUMA:うん、何も違いとかわからなかったけど、
キューバに行こう!ってなってた。
むしろキューバに一生いようって思ってた。
ーーーーー大胆(笑) 結局どのくらいキューバで勉強されてたんですか
KAZUMA:28歳で行って30歳で帰ってきて。
ーーーーー向こうで、どの学校に入る!とか決めていたんですか
KAZUMA:それが、俺全然行き当たりばってりでさ。
キューバに行くって出たのに、コスタリカに3ヶ月。
ーーーーー笑 なぜ。
KAZUMA:いきなりキューバだとレベル高いな(笑)って思って。自然もあるし、サーフィンもできるし、まずはラテンに体をなじませてからみたいな。
コスタリカに友だちもいたし。
地図でみたらメッチャ小さい国にだったから、行ったら会えるだろうくらいに思って。
ーーーーー笑
(ここでBANDERASボーカルの萩谷嘉秋さん登場)
ーーーーーそれで会えたんですか?お友達には?
KAZUMA:もちろん会えなくてさ(笑)
もう、ひたすら家で体育座りしてたよ。
もう、言葉もわからないし。外でたら、’社長さん”社長’って声かけてくるし。(後にこれはMUCHACHO=男の子と言っていること判明)
サン・ホセって、キューバより全然治安悪いから家とかも鉄格子で牢屋みたいな感じで。
怖くてあんまり一人歩きできないし、言葉もあやふやだし。まぁ、一応語学学校には通っていたんだけど。
でも、ある日、俺はこんなことするためにここに来たんじゃない!と気がついて。キューバに行こう!って思って。
※サンホセ=San José コスタ・リカの首都
ーーーーーいよいよキューバに辿りつくのですね。
KAZUMA:キューバ行った瞬間からめっちゃ楽しくて。
運命だって思った。
ーーーーーすんなり運命の先生には出会えたのですか?
KAZUMA:それがさ、ハバナに住むはずが、ガナボっていうハバナの外れに住んでしまって。でもとにかくハバナに行けば何か学校があるだろうと思って、まずはハバナ大学のスペイン語コースに通って。その後1ヶ月くらいした時に、ISAという芸術大学がある噂を聞いて、よしそこに行ってみようと思って。
でも、結局ISAの中の外人コースっていうのがあって、センセアっていう。そこでピアノポプラールとかハーモニーとかの授業を受けて。
萩谷:ベジータとはそこで出会ったわけじゃないんだよね
KAZUMAうん。LA SORRA Y CUERVOというジャズバーがハバナ市内にあるんですけど、そこで出会って。LATIN JAZZで凄い有名な人だった。
ーーーーーなぜベジータさんにしようと思ったのですか
KAZUMAキューバいろいろ凄い人いっぱいいるから、きっと、どの先生でもよかったんだけど、
いろんな人のレッスンを受けたんだけど、キューバってやっぱアカデミックな音楽教育だから、バリバリのクラシック上がりの人たちだから、授業でなかなか弾き方まで辿りつかない。
椅子の座り方2時間とか、ピアノを上から手を下ろして叩く方法とか。
一生かかりそうな感じで(笑)
でベジータさんの他に、結局もう一人TUMBAOが上手い先生とISAで出会って。
ーーーーーTUMBAO???
KAZUMA日本だとよくモントゥーノって言い方をするよね。
TUMBAOってなんなんだろうね。TUMBAOを弾け!!とかって言われて、こんな感じかなってやるとESO ES(それだーーー!!)みたいな感じで。
(笑)
あっ、これがTUMBAOなんだみたいな。
ーーーーーその時他に日本から勉強しに来た方はいたんですか
KAZUMAIZPONとかTAKESHI君にも、そこで会ってるんだよね。
後は、江波ヒロシ君とか。
それでみんなでIZPONの作ったバンドとかやってた。
当時IZPON腱鞘炎で太鼓叩けなくて、代わりにベース弾いてて。
IZPONの家でレコーディングとかしてたよ。
唄歌ったり、ベース弾いたり。
ーーーーーその後いつのタイミングで日本に戻る決意をされたんですか
KAZUMAもう、このままダラダラいるのもなーとか思って、お金も無くなってたし、帰ろうって。
覚えようと思えば、もっといろいろなこと覚えられたんだろうけど、少し違うものを見てみたくなったのかな。
日本帰ってきてから、TAKESHI君からバンドやろうって連絡きて。
MIUさんがボーカルのJAM STONEっていうバンドで。
ヒップホップとかR&Bとかのバンドで、俺全然弾けなかったし、でもわけがわからない中、とりあえず勉強だと思って。
で、そこから10年くらいは、ただただ出会えないなって思ってた。キューバで味わったあの高揚感とかキューバにいた時には当たり前にあったそういうキューバ人とかのグルーヴとか、出会えないと思って10年間くらい悶々としてたな。
あの感じを日本でやれたらいいなって。
ーーーーーいよいよBANDERASのバの字が出てくるのですね。メンバーにはどうやって出会ったのですか。
KAZUMAまずYASUJI君に声をかけて、
ーーーーー隣にいる萩谷君とはいつ頃から?
KAZUMAYASUJI君に相談した時に、すごくいいサボール(味)のやつがいるんだよーってなって。
で、あーーー知ってる!!それ!ってなって。
俺が見かけたのは、CENTRO DE LA RUMBAというバンドをやっていた時のLIVEで歌ってて。
俺がいつかバンドをやる時は、この人に頼みたいなーって思ってて。見た目的にも。
ーーーーーそこからドンドン他のメンバーが加わっていったんですね。
KAZUMAメンバーを選ぶ時に大事にしていたことはありますか。サルサをやっている人がいい!とか。
やっぱまずは、見た目♡
ーーーーー笑
KAZUMA見た目がダメな人はダメだしね。
イケてるバンドがやりたかったから。後は演奏力と不良っぽい見た目
ーーーーーメンバーを構成していく中で、もうすでにこういうSALSAをやりたいっていうのはあったんですか
KAZUMA:あれだよ。萩谷くんの持ってきたエドガーエスピノーサだよね。
しかも、その見せてくれた映像、バンドでもなんでもないんだよ。
エドガーエスピノーサが鉄格子から手をだしてピアノ弾いてるっていう。
ーーーーーへえ、その感じをやろうっていう感じ。
KAZUMA:そう。その雰囲気を。
今思うと面白いよね。
バンドの感じではなくて、一人で弾いてる姿の映像だったんだから。
ーーーーーそこから、いろいろ音楽の選曲がされていくんですね。
KAZUMAそうだね。New Yorkサルサとかで。
ーーーーーメンバーの方の中にたくさんキューバへ留学していた人たちがいると思うのですが、TIMBAとかではなく、やはりNew York SALSAがやりたかったのですか
KAZUMA:うーん
萩谷:キューバみたいなのはさ、俺は最初からチョイスに入ってなかったんだよね。KAZUMA君もそうだったんじゃないの
KAZUMA:日本でやるってなった時に、キューバンはセンスがね。やっぱりキューバに行っていろんなもの見てからじゃないと良さがわからないんじゃないかと思ったんだよね。
ーーーーーNEW YORK SALSAだとセンス的に日本にあっていると感じた?
KAZUMA:もっとシャレた感じだと思うんだよね、NEW YORKサルサは。
萩谷:根本的に精神性が違うからね。
ーーーーー精神性が違うとは??
萩谷:まず、都会でしょ。で、なんか鬱屈したようなものが流れている感じがして。それが爆発するような。
キューバンの方はそういうんじゃなくて、音楽がどれだけ凄いかってところにあって。音楽自体にどれだけ詰まっているかみたいな。バイラブレとかもそうなんだけど、
NYはシンプルなものでもカッコイイものはカッコイイし。キューバとかだと、シンプルな音ってありえないというか。誰も踊らないし。
センスの出し合い、見せ合いっていうところは、NEW YORK SALSAのほうが断然あると思うんだよね。
KAZUMA:萩谷君がいうように、根本が違うんだよね。キューバのミュージシャンってアカデミックなんだよね、凄く。英才教育というか。
でもNEW YORKの方の人たちは、虐げられてきた人たちというか。プエルトリカンとかラテンの人たちって。
萩谷:虐げられてきたストリートの人たちのある種その叫びみたいな。
KAZUMAキューバは、一応キューバ人だけの土地でだからそこもまず違うと思うんだ。
世の中ふざけんなみたいなさ。
例え話で、黒人の人が後ろを歩いていると、前を歩いているご婦人がカバンを胸の前に抱き抱えるんだ、みたいな。そういう歌はキューバではないと思うんだよね。
恋の歌とか多かったり、社会主義というのもあって、社会批判とか政治批判とかってあまりできないというか、どちらかというと礼賛する曲はあっても、批判するような曲はないよね。
NYサルサは、歌詞の内容とかもストリートのものは多いよね。ウィリー・コロンのアルバム エル・マロはまさにそういう方向だよね。
そう考えると、HIPHOPやパンクとそう変わらないんだよね。
萩谷:そうそう。そういう意味でもどちらの精神性が共通しているかっていうと、NEW YORK SALSAの方が断然共通してるんだよね。
ーーーーー今話していただいた理由からBANDERASは自然NYSALSAな感じになっていったということですか
KAZUMA:社会批判がとかそういうのはなかったけど、ストリートの音楽としてSALSAをやりたかっていうのはあるよね。
ーーーーーそういうストリートとしてのサルサという視点で面白いミュージシャンの人たちっていますか?
萩谷:えっと、海外のアーティストになってしまうんだけどOruquesta El Macabeoとか。
KAZUMA:もともとハードコアバンドとかだったんだよね。プエルトリコの。
萩谷:でも今同時多発的にそういった新しいSALSAバンドっていうのが出てきている気がする。なんでかわからないけど。
他には、BIO RITOMO,LOS HACHEROS
※ウィリー・コロン=Willie Colon トロンボーン奏者、天才として早くから注目を浴びる。El Malo(エル・マロ)はストリートの視点たっぷり社会風刺した作品として強烈なデビューアルバムとなった
※Oruquesta El Macabeo=既存のサルサ枠を超越したサルサに新しい音を求めるリスナーに好評を博しているPUERTO RICO発の注目オルケスタ・エル・マカベオ
※BIO RITOMO=ビオ・リトモ http://bioritmo.com
※LOS HACHEROS=ロスアチェーロスサルサの新しい可能性を感じさせる斬新且つ刺激的なニューサルサ! バンド
ーーーーーそれは新しいバンド?
萩谷:なんていうか、新しい感覚でやろうとしているバンド。
ーーーーーその新しい感じはここ何年くらいの出来事なんですか
KAZUMA:ここ5.6年くらいかな。
まあ、ずっと前からやっていたとは思うんだけど。
ーーーーーそういう変化が訪れてきているんですね。
KAZUMA:サルサをやろうって人たちが変わってきているというか、なんて言ったらいいんだろう
萩谷:今サルサっていうもの自体が懐メロになっていくわけだよね。
だけど、もともとの音楽ファンは好きな人も多いと思うんだよね。サルサとかラテンの音楽を。
だけど、今の感覚でやっている人たちがいないというか。
だからまあ、BANDERASの方向性っていうのはそういうところなのかな。
ーーーーーBANDERASの方向性に感してはみんなで決めているのですか。
KAZUMA:中心メンバーで大体こんな感じって決めていて、ストリートな不良チックな。
萩谷:まあ、そう思ってメンバーを集めてるから自然とそうなったよね。
ーーーーー今後のBANDERASが挑戦したいこと
KAZUMA:シンプルにもっといろんな人にサルサを知ってもらいたいよね。カッコイイ音楽なんだよってことを。
ーーーーーお二人にとってSALSAの魅力はなんですか。
KAZUMA:サルサって最初、わけわからないと思うんだよね。どうなってるんだーこれ的な。サルサって凄い技術的に難しい音楽だと思うんだよね。
サルサやりたいって言って、パッとやれる音楽じゃないと思ってて、今っぽいイケてるミュージシャンの人たちっていっぱいいるんだけど、サルサって難しくてできない。
あのリズムと高揚感。一筋縄ではいかない感じ。
サルサはサルサなりの上げ方があると思うんだけど。
ーーーーーパンクやヒップホップと何が違うと思いますか?
萩谷:僕はやっぱりリズムを聞く人間なんで、もちろん全部の音を聞くけど、やっぱりリズムのことについて語ってしまう。シンコペーションが。JAZZももちろんシンコペーションなんだけど、サルサはよりぐっと攻める感じというのがラテンジャズとかサルサなんだけど。
まぁ、もっと凄いところでいくとルンバとかサンテリアなんだけど。それのポプラールなバンドバージョンがサルサで、よりリズムを噛み砕いて彩って
しかも男女がペアで踊るのもいいし、自由に一人で踊るのも魅力。
ーーーーーキューバンサルサ TIMBAなどにそういった要素が入ってくるのは、想像できるのですがNew York SALSAにもアフロキューバンのようなシンコペーションが見られるんですか?
萩谷:うん。なんか水割りにした感じ(笑)
ーーーーーそれは、他の音楽にはない要素でそこが魅力?
萩谷:そう。本当に他の音楽にはない魅力だと思う。あーいうリズムは他にないよね。
そもそもの構造に加えて、さらにミュージシャンが攻めたり、引いたりする攻防があって、JAZZにも、もちろんそういうところはあるんだけど。SALSAはさらにグワッとある感じ。
ーーーーーもしかしたらそれがSALSA音楽を聞くと踊りたくなってしまう秘訣なのでしょうか。
KAZUMA:あると思う。絶対に。しかもそれでいてあの、切ないロマンティックなメロディー入ってくる。それは、他の音楽にはない。ただロマンティックなだけじゃ物足らないわけじゃない。男としては。そこにあのゴリゴリしたリズムが入ると納得だよね。
萩谷:さらにリズムの変幻がね。たまらないね。
ーーーーーサルサって何が難しい?
KAZUMA:まずは、普通にグルーヴさせるのが難しい。そういう音楽をやってない人からすると凄く難しいかもしれない。まず何を聞いたらいいかわからない。普通に分かりやすい4拍子とかじゃないからね、軸がどこにあるのかもわからない。
最近凄く思うのは、雑な演奏はよくないじゃん。でも丁寧な演奏もよくないんだよね。
丁寧が悪いわけじゃないのだけど、スリリングな演奏じゃなくなっちゃうのもね、かといって荒さが目立ってもね。
そこの加減かな。
ーーーーーなるほど。
SALSAがサルサが好きな人のためのものになってしまっていて、そこから脱さないとSALSAの未来はないのかなって。
型にはまらず踊って欲しい。
萩谷:JOSEのような空間がもっと増えたらいいなって思います。
BANDERASがいわゆるサルサ場で活動あまりしていないのも、裾野を広げたい、サルサはこんなにカッコイイというところを見せたいから。
ーーーーー最後にBANDERASの夢を教えてください。
KAZUMA&萩谷:イケてる人たちと面白いことをしていきたい!!
それから、SALSAをもっとちゃんと演奏できるようにしたい。修行します!!
ーーーーー大変素晴らしいお話を(笑)今日はありがとうございました。いやー、とっても面白かったです。
インタビュー:小関一馬 ‘BANDERAS’
ゲスト:萩谷嘉秋
インタビュアー:ダーリン.saeko
協力:間所直哉
企画:UWSTO
ファンク、R&B、レゲエ、キューバン、サルサ、アフロビートなど様々な音楽の現場で独自のスタイルを持ち活躍するメンバーが呼応するかのようにサルサの名のもとに集まった。
いったい彼らはサルサという音楽に何を求め何を発露させようとしているのか…汗とロマン、笑いと涙とを胸にバンデラスが行く。
2014年11月 数人のメンバーでスタジオでのセッションを始める。
2015年8月ライブ活動を開始。
2016年5月 1st 7inchシングル、
“Tema de Banderas/ Banderas Mambo”をリリースし、南米のサルサ情報サイトへの掲載や、アメリカの音楽配信サイト、バンドキャンプのウィークリーにもピックアップされる。このリリースを皮切りに大阪、愛知、三重、秋田など各地のイベントへ出演し、初ライブから約1年となる同年夏にはフジロックフェスティバルクリスタルパレステントへ出演。年末にはサルサバンドの殿堂ともいえる原宿クロコダイルのカウントダウンイベントにも出演するなどサルサシーンからクラブ・バンドシーンまでジャンルにとらわれず様々な現場へ様々なアーティスト達と共演しサルサ・ラテンミュージックの新たな道を邁進している。
– Webサイト –
http://www.salsadebanderas.com/